生き様を消費するということ。~ばんぎゃるに出戻ったよ~
この日記のタイトル、「昔ばんぎゃるだった何か」の日記なんですけど、嘘になりました。今日書くのは「今もばんぎゃるなばんぎゃる」の日記です。
思えば、11歳でGLAYを好きになってから、ステージに立つ人たちの「生き様」を好き勝手消費して今に至るなぁなんてことを最近考えています。
私が人生で一番ステージの上の人の「生き様」を好き勝手消費して全く後悔していなかった時の様子は上記を参照してください。
最近、新しいバンドを好きになってまたちょっといろいろ考えるようになりました。
バンドを好きになる「好きになり方」って、いろんな種類があると思うんですけど、「生き様」に影響を受けずに好きになるって無理じゃないですか?だって、曲にも歌詞にも演奏にも、全部その人たちの人生がめちゃくちゃ反映されるから。
どこまでが「生き様を消費しない」好きになり方なんだろうってちょっと悩むことがあって。というのも、私が過去の経験から「ステージの上の人の生き様を消費するような好きになり方は、あまり良くないんじゃないか」って勝手に思っているからなんですけど…。
「生き様を消費する」ってここまで書いてきましたけど、それってどういう事なんでしょうね。上記の記事に出てくる私は、好きになったバンドマンを「自分の理想」に仕立てあげすぎて自滅したパターンだったんですけど、これは私の中で自分が苦しくなってしまったからアウトだったな…っていうのがあって。
でもそれって結局「自分が苦しかった」ことが判断の基準なんですよね。
ステージの上とライブハウスのフロアは分断されているので、「こういう好きになり方は良くないのでは?」っていう私の思いすら全部自分の中の閉じた考えで、「良くない」っていうのは何をもって良くないのかっていうと、その基準もまた自分の中にしかないんですけど。私の場合。
「自分の理想の形に収まっていてほしい」「イメージどおりの貴方でいてほしい」っていうことは、どこまで正当性を持つんだろうな…っていうのも最近考えていることです。「イメージ通りのあなた」って、ステージの上の人が意図して作り出している場合も往々にしてあるじゃないですか。でも、ステージの上の人が意図して作り出した「イメージどおりの貴方」と、フロアの私が抱いている「イメージどおりの貴方」って、重なる部分もあればズレている部分もあると思うんですよね。
で、その「イメージどおりの貴方」が何らかの理由で損なわれたときに、それはどこまで「ステージの上の貴方が自ら作ったイメージに徹せなかった」っていうことになるんだろうなとか思ったりしています。
何が言いたいかっていうと、最近すごく好きなバンドがいて、曲と歌詞がとにかく良くて、演奏も良くて、ライブもめちゃくちゃかっこいいんですけど、それとあわせて、メンバーがめちゃくちゃひたむきで、まっすぐに「売れたい」って言葉にして、見ててヒリヒリするくらいがむしゃらなんですよ。で、作品とかパフォーマンスだけじゃなくて、そういうところもすごく良いと思ってしまっている自分を、ちゃんと律しておかないといけないなぁと思っているっていうことなんですよね。
前回のブログ書いてた時よりもだいぶ大人になったので、そんなズブズブになることはないだろうと思いながら、作品とパフォーマンス以外の部分にも魅力を感じてしまっている自分に気づいて、それは前の時と何が違うんだ?と思っっているという。
とにかく、めちゃくちゃ良いバンドなんで、みんな聴いてくれ。nuriéです。
12/21(土)新宿スタークレーンでワンマンライブ(無料で入れる)あるので。
無料チケットは、ライブ会場とか各ビジュアル系専門店とか、タワレコ新宿とかで手に入るらしいので。しかもピクチャーチケットなので。
ちなみに、有料チケットもある。3,500円で「生き継ぎ」っていうすごい曲のMVも当日ついてくる。すごい。
https://t.livepocket.jp/e/7mycq
ここから買えます。
あと、nuriéサブスク解禁されたので。きいてくれ。(2020.1.5追記)
今私を狂わせているバンドを見てくれ。たのむ。