昔ばんぎゃるだった何かの日記

ばんぎゃるがいろいろ考えたりいろんなものを観たりするよ。

月並みすぎる、エヴァンゲリオンと私。

34歳会社員の、月並みすぎるエヴァンゲリオンと私の話を書きたい。

あの頃、東京にいた思春期のオタクは絶対みんな観ていたのに、誰も教室では見てると言いたがらなかったエヴァンゲリオンについて。

一番最初にエヴァンゲリオンを観たのは、TVシリーズだった。たしか、水曜日の夕方6時半。初めて観たのは、「レイ、心のむこうに」だった。

シンジがシャワーから出てきた綾波レイの裸を目撃する、小学4年生だった私にとってはめちゃくちゃ気まずい回だ。当時、我が家は割と厳しい家庭で、女の人が裸になったり、殴ったりけったり、血が出たりするようなアニメは禁止されていた。

だからたるるーとくんも見たことなかったし、ドラゴンボールZもダメだった。(なぜか幽遊白書の再放送は許されていた)

エヴァンゲリオンが放送されていた水曜日は、母が習い事に行って遅くなる日だった。19時近くになると母が帰ってくるので、それまでの間こっそりエヴァンゲリオンを観た。なので、当時の私はエンディングテーマ(Fly me to the moon)と次回予告の「サービスサービス♪」を聞いたことがなかった。

5年生にあがるクラス替えで、私はKちゃんに出会った。

Kちゃんはお父さんもお母さんも漫画が好きで、漫画のことをたくさん知っていた。同人誌やコミケの存在を教えてくれたのはKちゃんだったし、BL(当時は「やおい」と呼ばれていた)を知ったのもKちゃんに読ませてもらった幽白のアンソロジーからだった。

Kちゃんの家に、貞本版(漫画版)のエヴァンゲリオンがあった。絵がとてもきれいで、本当に魅力的だったのを覚えている。Kちゃんの部屋には、貞本版エヴァと一緒に野火ノビタさんの同人誌もあった。私がカヲルくんとシンジくんの関係性に惹かれ始めたのは、たぶんあの本のせいだと思う。

ちょうどKちゃんと出会う春頃に第一作目の映画「シト新生」が公開になった。これは、父と一緒に見に行ったと思う。エヴァの本編を全く見ていない父に、「意味わかった?」と何度もきかれたのを覚えている。

DEATH編は総集編だったし、REBIRTH編は途中までだった。

当時小学5年生だった私は、正直全然わからなかった。わかるわけない。

本編を母親が出かけている間に飛び飛びで見て、漫画を少し読んだだけの小5に、わかるわけないのだ。

でも、DEATH編で奏でられるバッハの無伴奏チェロ組曲や、パッヘルベルのカノン、旋回して飛び回るエヴァ量産機、「エヴァシリーズ、完成していたの?」というアスカのセリフと、そのすぐ後に魂のルフランとエンドロールが流れる演出、全部がめちゃくちゃにかっこよかった。

当時小学5年生だった私は、正直全然わからなかったけど「わかるよ。」と答えた。全然わからなかったし、今も完璧にはわかっていないと思う。でも、「この作品をわかりたい」と強烈に思わされる何かが、確かにあった。

Kちゃんと仲良くなってからは、 「Air/まごころを、君に」も「DEATH (TRUE)2」もKちゃんと見にいった。子どもだけで初めて見にいった映画が「Air/まごころを、君に」だった。

それからは、買ったばかりの父のパソコンで、エヴァンゲリオンの考察テキストサイトを読み漁った。まだ「2ちゃんねる」すらなかった時代で、テキストサイトのBBSやMSNチャットでみんなエヴァの話をしていた。

中学生になっても、私はエヴァが大好きだった。中学生になった私は、GLAYというロックバンドにめちゃくちゃはまっていたのだが、GLAYのギターのHISASHIもエヴァが好きだった。好きなバンドの人と同じものが好きなことがうれしかった。

ただ、学校でエヴァの話をすることはなくなった。

Kちゃんとはクラスが離れて疎遠になっていたし、クラスメイトはアニメや漫画が好きな人のことをバカにしていた。中学1年生のある時、クラスの明るかった男の子が「エヴァンゲリオンを観たことがある」という話をした。何がきかっけかは覚えていない。でも、その話をした翌日から、彼は明らかにグループからハブられるようになってしまった。

エヴァンゲリオンを観たことがある」「漫画を読むのが好き」という事を周りに知られてはいけないのだと私はその時強く思った。

周りに知られると、居場所がなくなる。読んでいると周りに知られていいのは、NANAとワンピースだけになった。なので、私はNANAとワンピースしか読まなくなった。テレビドラマを観て、あいのりを観て、クラスにいるときはその話をしなくてはいけなかった。

中学二年になってもエヴァンゲリオンは好きだったし、家でTVシリーズのビデオを一人で何度も見返していた。シンジくんの抱える閉塞感に、自分の閉塞感を全然違うけれど重ねていたのかもしれない。14歳という年齢も特別だった。パイロットに選ばれることができる年齢だというのを、ビデオを見返すたびに意識していた気がする。

シンジくんと同じ14歳をそうやって過ごして、15歳になる春、私は転校をした。

転校先は、今までいた中学校とは全然違って、みんな自分の好きなものを好きと言っていた。アメリカのアニメが好きな子も、ビジュアル系が好きな子も、漫画が好きな子も、ジャニーズが好きな子も、みんな自分の好きなものを隠さず、いいところを共有しあっていた。

転校先でわたしの面倒を見てくれていた子が、「彼氏彼女の事情」が好きだった。エヴァンゲリオン庵野監督が監督を務めたアニメ作品だ。そこで、庵野監督の話をすると、近くの席に座っていたSくんが話しかけてきた。

Sくんは「GAINAX好きなの?」といった。GAINAXの話ができる人が身近にいる。しかも、GAINAXの話をしてもいじめられない。すごい空間だ。

私にとって、それはめちゃくちゃなカルチャーショックだった。

Sくんは家がお金持ちで、マンションの一室を自室として与えられていた。放課後そこに集まって、みんなでフリクリトップをねらえ2を観た。

漫画や、観たいアニメを禁止されていた小学校時代から、自分の好きなものを好きと言えない中学時代を経て、好きなものをふつうに好きと言って、否定されない空間があるというのを私は転校先で初めて実感した。

それからもエヴァンゲリオンは私にとって大切な作品だった。大学生になって一人暮らしを始めるときに、TVシリーズのビデオは持って引っ越した。

ひとり暮らしの部屋で、擦り切れるほど見たビデオを、今まで以上に何回も再生した。その頃にはセリフもほとんど覚えてしまっていて、家に遊びに来た彼氏の前で、一人でエレベーターの中のアスカとレイを演じて気味悪がられたりしていた。

そして、2007年9月、エヴァンゲリオンが再び映画になった。

当時、またエヴァンゲリオンが観られることが本当にうれしくてたまらなかった。序の時も、本編ずっとうれしくて泣いていた記憶がある。ただ、破で、アスカの苗字が「式波」になってしまったことと、マリという新しいキャラクターが出てきたことに、一抹の寂しさを感じていた。

違和感というか、これは私の知っているエヴァンゲリオンとは別物なのかもしれないと気が付いたのはQだった。私は鈍いので、Qで明らかに従来と違う展開がきても、EOEの別次元、別解釈のエヴァンゲリオンで、あくまでもEOEの延長としてのエヴァンゲリオンなのではないかと思い込んでいた。

ただ、これは違うのではないかと決定的に思ったのがQのラストシーンだった。

ニアサードインパクトによって真っ赤になってしまった世界で、アスカがシンジの手を引いて、レイと3人で歩み始めるラストだ。

EOEでたった二人になってしまって、真っ赤な世界でアスカの首を絞め、でも殺せずに泣くことしかできなかったシンジと、シンジの頬を優しく撫で、でも「気持ち悪い」と拒絶せざるを得なかったアスカ。そして、与えられた場所でしか生きることができなかったレイ。その3人が、一緒に歩いている。

あのラストシーンを観て、私は涙が止まらなくなってしまった。あれは、明らかな救済で、でも従来と違うエヴァンゲリオンだ。

あのラストシーンを観たから、今回のシン・エヴァンゲリオンを受け入れることができたのかもしれない。

シン・エヴァンゲリオンは、私の好きなエヴァンゲリオンではなかった。

私が、25年間ずっとあこがれ続けたエヴァンゲリオンではなかった。

ものすごくファンに対する思いにあふれていて、優しくて、庵野さんの人生がきっと今が一番素敵なんだろうなと想像させてくれるエヴァンゲリオンだった。

とてもとても良い作品だったと思う。でも、私の求めるエヴァンゲリオンではなかった。

作品の節々に、過去のエヴァンゲリオンを思い起こさせるようなたくさんの仕掛けがあった。そのすべてがどれもとても懐かしかった。

シン・エヴァンゲリオンを観た翌日、会社の同僚が「昨日エヴァンゲリオン観てきたんですよ」と話しかけてきた。ZOOMの会議の中の雑談だった。オタクじゃない、様々な世代が入り混じっていて、エヴァを知っている人も知らない人もいる空間。「わたしも昨日エヴァみました!」気が付くと、そう返していた。

漫画に詳しい同級生の部屋でも、GAINAXオタクのクラスメイトの部屋でも、BBSでもチャットでもない、共通の趣味があるかどうかもわからない会社の同僚の前で、エヴァンゲリオンを観たこと、エヴァンゲリオンが好きな事を何も構えず口にすることができるように、いつの間にか私はなっていた。

大人になるってそういうことなのかもしれない。

その瞬間、私は終わったんだなと思った。

私の中のエヴァンゲリオンは、終わったのだ。

これからもTVシリーズは観るし、EOEも観ると思う。

新劇場版についてはまだわからない。でも、私がエヴァンゲリオンからいつの間にか大人になっていたことを気づかせてくれるのには、絶対に必要な作品だった。

 

ありがとう、さようなら。

次はシン・ウルトラマンが、本当に楽しみだ。

好きじゃないのにいつも人生にあるもの(ライブハウスに寄せて)

15歳の春、初めてライブハウスに行った。

今から思えば広めの会場、二階席の最前列。

でも、今までホールやドームでしかライブを観たことがなかった私にとって、肉眼で表情のわかるその距離感と、直接身体の芯に響くような音楽に、公演の2時間半、ただ呆然と、夢か現実か分からない気持ちでステージを見ることしかできなかったのを今も覚えている。

18の冬、友達のライブを観に、初めて雑居ビルの地下にあるライブハウスに入った。

ガラガラのフロアに向かってギターを弾く友達を見るのは変な感じだった。隣に座っていた知らない女の子は「ライブハウスの床は灰皿」と言いながらその場に吸殻を捨てていた。

24の夏、渋谷のライブハウスで、人生を変えてしまうバンドと出会った。

1300人のキャパシティを当日券でソールドアウトさせて、わたしが運命を感じたバンドと恐らく一生かけて大好きなバンドマンはステージの上で笑っていた。

25の夏、自分の目当てのバンドが出られなくなったライブを観に行った。神戸のライブハウス。初めての遠征だった。

「お目当ては?」という、今まで何度もきかれた質問にすぐには応えられなかった。

彼らの出ないステージを見つめながら、彼らもきっとまたここに戻ってくるのだと信じる気持ちを強くした。

翌年、原宿のライブハウスで大好きなバンドが再びステージに立つのを観た日から、私にとってライブハウスは特別な場所になった。

大好きなバンドのツアーで全国のライブハウスを何度も巡った。一つひとつに思い出し切れないくらい沢山の思い出がある。

ただ、私はライブハウス自体が別に好きなわけじゃない。汚いし、暗いし、大抵周辺の治安は悪いし、寒いし、場所によってはスタッフの対応も最悪だ。

それなのに、私の人生にはいつもライブハウスがある。

それは、ライブハウスのステージの上で、バンドの人たちが夢みたいに輝くのを一回でも多く観たいからだ。

照明や音響で彼らを輝かせてくれるライブハウスの人たちに感謝はしてるけど、だからといってライブハウス自体が好きなわけじゃない。

でも、無くなったら困るのだ。かっこいい音楽をやってる人たちが、夢みたいに輝くステージは一つでも多い方がいい。

好きじゃないのに、無くなったら困る場所ってすごく不思議だけど、ライブハウスってそういうものだよね。

配信ライブを1年弱観ていて、「ライブハウスに行かなくても配信でいいじゃん」って思いたかった。

汚くて暗くて寒いライブハウスに行くのが嫌だから。ちょっと立ち止まっただけで、地の果てまで追いかけてくるようなスタッフに追い立てられながら帰宅するのが嫌だから。

でも、全然そうは思えなかった。

私には、「生」で音楽を感じるライブハウスが絶対に必要なのだ。

全然好きじゃないけど、大事な場所もあるんだなと、このコロナ禍で思い知らされた気持ちです。

またライブハウスに行けるようになったら、もう少しライブハウスを好きになりたいなぁと今は思っている。

 

おわり。

ああしてやればよかったなとか、こうしてやればよかったなとか。

そんな気遣いなど欲しくもないし。というのは、セクアンのチロルの歌詞ですが。

後輩が辞めました。前日に面談して「がんばります!」って言ってたのに、翌日から来なくなりました。衝撃。

わたし、後輩が辞めたの初めてで、ほんとうにびっくりしています。

弊社、残業もべつにそんなないし、人間関係も極端にめんどくさい人とかいないし、どっちかというとのんびりぼんやりしている社風なので、ジワジワ嫌になって辞める人はいるだろうけど、そんな突然やめる人がいるとは思っていなかったなぁ。

こういうときって、辞めた本人に対して「なんで!?」みたいな感情ってそんなに沸かないんですね。「ああしてやればよかったなとか、こうしてやればよかったなとか」そういうことばっかり頭をよぎるんだなぁと、少し心に余裕ができた今はチロルを聴いています。

辞めた理由は本人いわく「やりたいことがほかにできたから」。こんな理由は、100%建前だとわたしも思っていたんです、その時までは。

でも、本当にそれ以外の理由を言われないと、本当にそうなのかも…?っていう気になってくるんですね。そんなこと初めて知ったよ…

後輩には、前途に光あれ!!って思ってもう終わっているので、その時の私の感情と、考えたことをまとめておこうと思います。

かなり落ち込んだし、久々に一睡もできなくなってメンタルがボコボコになったので、同じことが起こったとしても同じにならないように。

①「もっと教えたいことがあった」と思ってしまった。

②「私が面談でもっと本音を引き出せていれば」と思ってしまった。

③「自分が彼女にとって話しやすい先輩じゃなかったからこういう結果になった」と思ってしまった

―自分を責めてもしょうがないんだよね。もう決まったことだし。あと他人の行動の原因が自分にあるのかもしれないというのは、思い始めると気が狂うのでやめようと思った。

④上司が悪いんじゃないかと思ってしまった

⑤直接かかわってたメンバーが手を尽くせていなかったんじゃないかと思ってしまった

―これは正直わからないけど、彼らは彼らの精一杯をやっていたし、みんな会社と後輩の未来を良くしようと思って接していたのは間違いないから、わたしが考えても仕方ないこと。

 

自分を責めず、人を責めず。こういう時誰も悪くないって思うの嫌いだったけど、たぶん本当に、誰も悪くないのかもしれない。悪いとすれば、「人」ではなくて、「環境」で、その事実を引き起こしてしまった「環境」の要因はなんだったのかを考えないといけないのかもなぁと思ったりした。

今回の件でちょっと大人になったし、部長から「きょうこさんは、何か言いたいことがあるときや怒りを感じているときは、一晩寝てからアウトプットしたほうがいいよ。」と言われ、「わかるそれなー」と思ったので、そうしていこうと思いました。

 

なんのはなしだ。

10月最終週、仕事がうまくいかなすぎてメンタルがボコボコでつらかったんだよねーという記録でした。

以上です。

 

ライブハウスに行かなくなって感じる寂しさについて。

全然ライブハウスに行けない。

いや、ライブハウスに行けないこと自体は別にいいんだけど、ライブハウスでライブを見られないことがとてもさみしい…気がする。もう5ヶ月は配信以外のライブを見ていない。

かつて、好きだったバンドが半年くらい活動休止していたことがあるので、「特定のアーティストのライブに行けない」という経験はあるけど、ライブハウス自体にこんなに行かないのは10年以上ぶりかもしれない。

そんな中で、ライブってなんであんなに特別だったんだろうなぁということを話したいと思ってブログを書いています。

配信ライブ、結構いろんなアーティストがやっているから観てる。それ自体はとても素晴らしいんだけど、やっぱりライブとは体験による情報量が違うなあと思う。

ライブ前に友達と会ってお茶して、終わってゴハンたべてみたいなことができなくなって寂しいって話はたくさんきくけど、ほかにも、そういえばなくなってしまったな…って思う事が結構ある。

例えばチケ発。私が、日曜10:00にファミマに現れる女じゃなくなって久しい。別にいいんだけど、そういえばしばらくそういう事もしていない。

無駄に歌舞伎町も池袋の西口も歩かなくなった。ちょっと早めについてしまって、客層のよく分からないルノアールやカフェドクリエで、普通としか言いようのない味のコーヒーを飲んで時間をつぶすこともなくなった。

ロリータレンピカ、ヴィヴィアンのブドワール、プラダのキャンディみたいな甘い香水の香りを感じることがなくなった。私がよくいくライブハウスに居た女の子たちは、多くが重たくて甘い香りをさせていた。

「いつもフロアにいるあの人」に会うことがなくなった。同じバンドのライブによく来ている顔だけ見たことがある知らない人たちにはライブハウスに行かないので会わなくなった。

「そういえばなくなってしまったな」程度の事であっても、一つひとつ思い出していると、やっぱり寂しい気持ちになるなぁと思う。

 

それから、実際にステージの上でライブをする人たちを観て、音を聴いて、脳を揺さぶられるような衝撃を感じることがなくなった。

好きなバンドについて「もう、この人たちを好きな事に言い訳はできない」と思わされるのは、いつもライブハウスでライブを観ているときだった。

自分の周りだけが真空になったみたいに、頭の中が、聞こえる音と、ステージの上で繰り広げられる情景だけでいっぱいになってしまう瞬間が、きっとみんなバンドを観ているとあると思うんですけど、私のそれは、いつもライブハウスでライブを観ているときだったんですよね。

それがなくなってしまって、本当に寂しい。

そうなった瞬間のことって絶対に覚えていて、たぶん人生の中ですごく大事なものになる気が私はしているので、とても寂しいです。

推しのバンドがこの間新曲を出したんですけど、今年の2月に観たライブでその曲をやっていて、それを観てわたしは「この人とこのバンドを好きな事に言い訳ができない」って思ったんですよね。

観ている人間に、逡巡や逃げを許さないステージをやってるバンドで、そういうバンドのライブをライブハウスで実際に観られない/観てもらえないっていうのも、とても寂しいと思う。みんなに観てほしい。

早くコロナなんとかなってくれ!!!というブログでした。

一人の人間に「好き」の覚悟を決めさせた曲、貼っておくので、聴いてくれ。

 

愛を歌わせろ人生

愛を歌わせろ人生

  • nurié
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

https://www.tunecore.co.jp/artist/nurinurinurie#r671456

 

緊急事態宣言とは関係なくもうただひたすら痩せたいという日記

緊急事態宣言、39県で解除になりました。

すごい間が空いてるけどまだなんとか痩せようとしています。

30代になって3年ほど経つんですけど、30代のダイエットは持久戦だということをまだ受け入れられないです。2週間くらい食事制限すればスルスル痩せてた20代の頃が忘れられなくて、やせない事実を受け止められない…

運動不足の解消にはなってると思うのでいいんですけど、この汗は何?っていうくらい痩せない。すごい。

そのわりに、秒で太る。

ちょっとピザを食べようものなら(ダイエット中にピザを食うな)どんどん太ります。

こらえ性がないので、明日死ぬかもしれないんだから好きなものを食べては?という気持ちになります。でも、今のところ死にたい気持ちもないので、明日生きている確率の方が高いので痩せて生きていきたい…。

痩せたい…

お風呂がピーピーいってるので、さようなら。

緊急事態宣言を受けたので日記⑰~㉒

よくこんなにさぼれたな。日記です。

こんにちは。

自粛期間を利用して、やせようとしています。

私、普段営業職で電車で外回りの仕事しているので、おひるごはん外食で、カロリーがすごいんですよね。どんどん太る。なので、この期間に一回まじでやせようと思って。

思えば、31歳の正月に調子に乗って餅を食べてから、服のサイズはツーサイズ上がり、前職の人には会うたびに「誰かわかんないくらい太ったね…」っていわれたり、「太った人」としての人生を3年ほど順風満帆に生きてきました。

いったんここで区切りをつけたい。

以前某バンドに足しげく通っていたころは、某バンドのファンは細くてかわいい子が多かったため(本当にかわいい子が多かった)「景観を損ねてはいけない」という意識もあり痩せていられたのではないかと思ったり思わなかったりしています。顔はもうしょうがないのでせめて体型だけは…って思っていた。当時は。

今はもう、ルッキズムから割と解き放たれてしまったのですが、やっぱ着たい服がきついのはしんどいなということで、やせたい。

やせます。がんばろー!

 

全然緊急事態宣言関係ない日記。

緊急事態宣言を受けたので日記⑭⑮⑯

こんにちは。

緊急事態宣言が出てから、週1くらいで実家に電話しています。ラインのテレビ電話を試したら久々に見た父がめちゃくちゃおじいさんになっててそっかーと思ったんだけど、画面に映った自分の顔に父自身が私よりショックを受けててウケました。父よ、あなたはもうジジイ……

昨日、ありとあらゆることが不安になってしまって、もう仕事がなくなったらどうしたらいいんだ……と思ってたんだけど、今の仕事がなくなっても働くしかないので、なんとかやっていくしかないんですよねがんばろ。という気持ち。

今日たぶん、会議が3本あって人と結構話したので調子よくなったんだと思います。

人間とコミュニケーションをとることは大事ですね。

最近、2日に1回くらい散歩を兼ねてスーパーに行ってたんだけど、東京都からスーパーは3日に1回にしてくれって言われてまじかー…と思っています。

うちのめちゃくちゃ近くのスーパーは安くて空いてるので好きです。

駅の方のスーパーは全部30円くらい高いのにめちゃくちゃ混んでるんだよね。

わたし、普段自炊とかまじでしないんですけど、最近自炊をするようになり、やっと家の周りのスーパーの価格帯がわかるようになりました(今の家14年住んでる)。

14年って住みすぎじゃない??こわ……

25日から会社を休みにするように都が要請を出すようですね。特別休暇を作ってくれー!有給は絶対使わないぞーー!!という強い気持ちです。

明日もがんばろーね。